うつ病との闘い 回復に向けて ~2020年3月11日~
・・うつ病との闘い 回復に向けて 書出ノート6冊目・・
今日で6冊目のノートになった。
3月11日は東北の震災から9年目になる。
俺ぐらいの世代は決して風化しない震災だろう。
まあ、防災士だし忘れないけどさ。
本当は今月にでも会社と復職に向けた、本格的なコンタクトを取ろうと考えていた。
しかし、先日の体調不良や、ここ2~3日の不調もあり、時期を遅らせる事に決めた。
睡眠剤が無いと、まだまだ熟睡が出来ない。
減薬も進んでないし。
時間が掛かるけど、仕方ない。
コロナもあるし、丁度良いかもな。
うつ病になった人の中には、3ヶ月程度で復職する人も多いと聞く。
もちろん、個々の度合いもあるだろうけど、相当無理をしているのでは。
自分の状況を鑑みれば、凄い挑戦だと感じる。
この病気の根本は何であるか。
世界中の医者が研究をし続けていて、現時点での、こうであろう。が出ている状態。
恐らく、昔の人々は苦しみ、命を絶ち、錯乱した人もいただろう。
小さい頃、家の近くに変わった人がいた。
精神異常者だ。
何か喚いていたり、人に危害を加える様な事はしない。
ただ、日中、散歩をしている。
うつろな生気の無い目や表情をして。
走り回っている俺達をただ見ながら、歩いている。
いつも決まった道を。
小さい時はそれが恐怖でもあり、度胸試しの材料だった。
話しかけてみろよ。とか。
なかには石を投げようとする奴もいた。
流石にそれは皆で怒って、止めさせたけど。
話しかけても、もごもごと特に返事はない。
馬鹿にし差別をする。
そんな時代の最後であり、今の時代の始まりのような時代だった。
ある時、祖父にその人の事を聞いた事があった。
祖父は戦後、浅草から疎開し、曽祖父の実家である、俺の生まれた土地へ来た。
家業を手伝いながら、段位を持つそろばんを近所の子供達に教えていた。
何よりも教育が大事だという信念から、無償で教えていた。
土地の人達との繋がりも広く、強く、そのうつろな目の人の事も知っているだろうと思ったからだ。
話を聞いてビックリしたのを覚えている。
「お前達はあいつをバカにしているのか?」
と、まず言われた。
そんな事ないと適当にウソをつく。
「お前達なんか足元にも及ばない程、あいつは優秀なやつだ。」
「あいつは本当に優秀だった。勉強はもの凄く出来たし、東大なんて簡単に入れるくらいの秀才だったんだぞ。」
「でもな、その勉強をやり過ぎて気を病んでしまったんだ。真面目で秀才だったのに、本当にかわいそうなやつなんだ。」
「だから、決して馬鹿にするな!今のあいつなりに精一杯生きているんだからな!」
そう教えてくれた。
その後、同級生は皆、祖父の教え子でもあるので、その話をすると、ちょっかいを出すのを止めた。
代わりに、すれ違った時は、ただ元気良く挨拶をするだけになった。
その時から、その人の表情が少し明るくなった気がした。
今、自分が病気になり、この時代で生きているからこそ、こうして書いていられる。
数十年前に同じ病気になった人は、うつから始まりすぐに区別され、解決方法も少なく、精神を病む状態まで引っ張られていたのだろうな。
今なら助かる事で全てを失った人が山ほどいただろうな。
ふと、思い出した昔の事。
自分が今の時代であった事がなんて恵まれているのだろうと感じた。
社会の風潮は前向きに後押しをしてくれる。
ネットを通じて病気の事を知り、回復した人の実話を見て、前向きになれる。
病気を隠す事も必要ない。
医術も発達していて、徐々に回復へ向かっていける。
そう考えれば本当に運が良い。
真面目過ぎても報われず。
不真面目過ぎたらすぐに人前へ晒される。
中途半端に世渡りを続ければ、何かを得る事は出来ず。
やがて、人は病み、何かの目的を忘れてしまう。
この先も世の中は同じ様に繰り返していくのだろう。
何かを持つ者と持たざる者。
社会はそんな中で進んで行く。
俺はそんな社会でも俺でい続けたいな。