うつ病との闘い 回復に向けて ~2019年11月24日 その②~
・・うつ病との闘い 回復に向けて 書出ノート2冊目・・
俺の先はここで一度なくなった。
どうにか勇気を出してアパートを探して回った。
生活費と家賃で20万位は必要だったかな。
フリーターでも良いからそうしようと思った。
でも、最後の勇気が出なかった。
社会的に権力を持っていた叔父に頼みたくもないのに職探しを頼んだ。
地場の企業じゃ俺がもったいないと言われ、大手の関連子会社をあたってくれた。
ただ、大卒でないと厳しいとの現実だった。
当時は就職氷河期の真っ只中だ。
そもそも人を取らない。もうどうにでもなれと思った。
世話が上手く行かなかった叔父は、自分の事務所に取りあえずきて就職活動をしろと言ってきた。部屋を借りる金も無いから居候をしながらだ。
それなりに楽しかったけど、職探しは続けていた。
ベンチャー企業に就職した。広告代理店のいろは、当時出始めのネット広告関連、コンサルタント業務など色々と学べた。
激務だった。泊まり込みも普通の会社。
学生からの疲れを引きずっており、その激務に対応出来ず、長くは続かなかった。
兄貴は相変わらずで、また借金が見つかった。
両親は兄弟の近くに家を建てるという希望を昔から持っていた。
俺が生まれ育った土地を離れ、都市部への移住だ。
しかし、その目的の一部には兄貴の借金返済もあった。
俺は本当に移住する事に良い事が起きないと直感があったから最後まで泣きながら反対した。けど、いつも通り。俺の意見は通らない。
今住んでいる都市部へ移り、バイトして、ギャンブルして、酒飲んでの日々。
この時に今も大事にしている先輩達や仲間と出会った。
新規立ち上げの広告代理店で働いて、もう一度感覚を取り戻した。
違う会社の支店立ち上げも手伝った。
広告代理店で独立して、兼業で色々なバイトもした。バーもそのうちの一つだ。
親父の体調も良くないのは知っていたので、フリーの時に一緒に家業をやろうと提案した。断られた。家業は休業にしてしまった。
兄貴は相変わらず勤めては辞め、勤め先にも迷惑をかけたり本当に家族はボロボロと崩れていく。
せっかく切り替えて生きて行こうとしたのに、またどうでも良いとなってしまった。
うつ病との闘い 回復に向けて ~2019年11月24日 その③~へ続く