うつ病との闘い 回復に向けて ~2019年11月24日 その①~
・・うつ病との闘い 回復に向けて 書出ノート2冊目・・
昨日は凄く調子が悪かった。一昨日は久しぶりに一日中調子が良くて、良い方向に向いているのかなと感じたのに思いっきり反動がきた。
また、一つ学ぶことが出来たかな。
毎回だけど、本当にこうなってしまった事の原因が分からない。
振り返れば、疲れやストレスを感じていた日々だったと思い出せるが、あの日。
管理部門上司C氏と当たり前の話をした時に何故かこの状態になった。
この書出ノートでこう感じていたんだなと気づいてきたけど、処理できない感情ではなかったはず。
イヤだなあと思いながら仕事は出来ていたし、楽しいと感じながらも出来ていた。
上司の対応もイライラしていたけど世の常だと納得はしていた。
不思議と今は怒りの様な感情は薄い。
だけど、毎日仕事を思い出す。
お客様への申し訳なさや関わっている方々への申し訳なさ。
こうなる前に何か出来たのではないかと感じてしまう。
出向先のオフィスの絵を思い浮かべるとまた、涙が出そうになる。
ただ逃げたくて甘えているだけなのだろうか。
無感情という感覚が今の自分には出てくる。
どうでも良いとも感じない。
他者への申し訳なさ、無感情、不安、焦り、自分への怖さ。
相変わらず、何が何だか分からず混乱している。
色々な過去を思い出す。
親父に金が無いから大学進学を諦めて、専門とかにして欲しいと頼まれて、兄貴とまた差をつけられた悔しさを飲み込んだ。
消防関連の専門学校を提案したが、拒否されて選択した短大進学。
4年生への編入や留学、卒業後の専門学校と考慮しての選択ではあったけど。
それは、兄貴が今度はまともな社会人として2人で生活を出来るという事が前提だった。俺は兄貴が学生時代から何かおかしいと感じていて、両親にも伝えていた。
兄貴が倒れた。短大2年の俺の誕生日。
短大を卒業したら専門学校へ行こうと思っていた。
誕生日の前日には高校の同級生と誕生日祝いをしての翌日だった。
冷静に対応できた。親父で2回経験している。
人工呼吸をやって救急車を呼び、着替えを準備し保険証を持って。
救急車が来る寸前に兄貴が自立呼吸を出来なくなり倒れた。
人工呼吸の再開。すぐに救急隊員が到着し助かった。
病院で両親を待つ間、また俺のやりたい事や目標探しが出来なくなるな。と感じていた。
家の経済状況は理解していたし、自分で全部こなす勇気もなかった。
到着した両親は兄貴の心配をした。当然だ。
俺は何か納得いかなかった。
アパートで毎日泣いていたのを思い出す。
いつも自分の番が迫ると周りがダメになって自分は我慢するしかない。
本当に悔しくて、バイト先、短大の仲間と会ってもグチばかりだった。
この時位からかな、一人で飲みに行って、その場で新しい仲間を作って楽しく過ごそうと行動していたのは。
そんな時、闇金業者から電話が入る。俺や親父、家の会社が連帯保証人になっていた。
フタを開けたら数百万の借金があった。
最後まで兄貴を信じていた親父にこれが現実だ!だから言っただろう!とかなり攻撃的に言ったのを覚えている。
うつ病との闘い 回復に向けて ~2019年11月24日 その②~へ続く