うつ病との闘い 回復に向けて ~2019年11月14日~
・・うつ病との闘い 回復に向けて 書出ノート1冊目・・
2回目の通院に行った。次回は2週間後となった。
1ヶ月の休養診断書を会社へ送り、今後は出向元の総務とやり取りをする事となった。
診断された病名は「うつ病」「不安障害」だ。
会社の総務とはどうにかメールでやり取りが出来た。とは言っても、ドクターよりは会社と接触をしないようにと指示を受けていたので、妻が諸々の代行を担ってくれている。
それでも、何かおかしな感覚になって2週間以上経ち、少し状態も良くなってきてるのかな。
日々、色々と考えてしまう。本当に正しい選択だったのか。
今までの自分はそれで良かったのか。
自分は本当は何を求めているのだろうか。
会社ではどう思われているのか。
我慢しているつもりもなかったのに我慢していたようだ。
不安、焦り、緊張、何も考えたくない。何も求められたくない。
色々な感情が交錯している。回復はまだまだなのかな。
思えば、1年以上前からそんな気持ちが時おり出ていたなと思い出す。
今日は先日書きだした経緯を読み返した。
今日の書き出しは涙も出ず、前回ほどでなくて良かった。
思えば、小さい時からプレッシャーとの闘いだったな。
家は商売や塾の経営をしており、親族も皆商売をしていた。
俺は利発的だと言われ続け、将来は商売人になると刷り込まれていた。
というよりも自分で刷り込んでいた気がする。
自我が強いから友達ともいっぱい衝突した。
いじめられたし、いじめもした。でも、結局仲間になれた。
俺を嫌いな奴は山ほどいた。
嫌われたくないから合わせまくった時もある。
でも、疲れるからまた身勝手に戻って皆を悪事に巻き込む。
まあ、思春期なんてこんなもんだろう。
悪事をする仲間と縁を切る為に家出をした。高校の停学中に。
結局戻って学校で会議が開かれた。何故かその時、数名の先生が守ってくれた。
7対3で退学処分の状況だったけど、その先生達のおかげで卒業できた。
悪事をする仲間とは縁を切った。同時に新しい仲間もできた。
あの当時の自分は何を求めていたのだろうか。
争いや虚栄、自慢をしたり誰かと比べて優劣をつける事には本当に飽きていた。
毎日が楽しく過ごせればそれで良かったのかな。思春期だからね。
今も何も変わってないのだろうね。ずっと子供のままなのかも。
実家の家族はその当時、自慢や誰か比べばかりしていた気がする。
死んだ祖父はプライドは高かったけど、人としての正義のプライドだった。
身勝手で愛嬌があって、人に迷惑もかけるけど同じくらいお人よしだった。
頑固で戦争末期経験者らしく理想と現実をしっかり使い分けていた。
俺は祖父に憧れていた。
人に10の文句を言われても人に10の感謝を言われるような人。
周りは苦労しただろうな。
今度調子良い時は祖父の思い出でも書こうかな。
今の自分をみたら何もさせずに守ってくれただろうな。
疲れたので今日は終わり。