不変を疑え!! 鈍感力と敏感力。 敏感である事に自信を持とう!!
パーソナルサーチャー
もも丸です。
アメリカ大統領選挙が間近ですね。
トランプ大統領、バイデン候補のデットヒートが続いています。
日本はアメリカへの依存は高いので。
注目材料になりますね。
まぁ、アメリカの都合で高いだけなんですが。
支配するつもりが巧みに力を付けちゃったから、アメリカも離すに離せない存在に日本はなってますよね。
ご都合主義のアメリカ合衆国においては、面倒な国かもしれませんね。今も昔も。。。
さてと、本日は「鈍感力」について。
もう前時代的な言葉かも知れません。
一時期は、社会でかなり語られた言葉です。
そして、この対義語である「敏感力」についても考えます。
鈍感である必要性
私は鈍感である必要性は無いと感じています。
むしろ、鈍感力を義務教育の中で養い過ぎていると感じています。
リーマンショックくらいでしょうか?
日本も世界も経済的危機に直面している様な時期にこの言葉が流行った気がします。
他者に振り回されない為に。
自分が傷つかない為に。
鈍感力を高めて過ごす。
我々の判断は「気にしない」という答えにしていた様な気がします。
地域社会においても、個人の重要性が高まり、この言葉の通り、他者を気にしないという判断が標準になりました。
私はこの鈍感力は真っ向から否定します。
鈍感である必要性はありません。
様子を見て待機をしている。
この様な解釈であれば必要性を感じます。
なぜ必要性を感じないか
まず、鈍感であると自分自身のアップデートも行われないままになってしまうからです。
例えば、いわゆる40後半〜50代。
社会や会社のお荷物だとばかりに扱われています。
この要因には鈍感力が関わっているのではないでしょうか?
知識や経験の有無では無く、鈍感を受け入れて流れに身を任せる。長い物に巻かれる。
この判断を長年してきた世代に現代のスピード感や判断力をいきなり要求しても対応出来る訳がありません。
鈍感である事で、勝負感を失ってしまっているのです。
経済的な閉鎖感のある時期に、トライ&エラーの機会を奪われていますし、そもそも鈍感力が高すぎてその意識がありません。
本来、危機的状況こそアクティブに活動を繰り返し、循環させるべきだと考えています。
経済も理性も感性も。
この鈍感力は義務教育機関に養われた力だと感じています。
また、社会がその風潮を作っています。
だからこそ、社会に受け入れられたのでしょう。
小さい時から、敏感に活動をし、トライ&エラーを繰り返させて。
鈍感力を出来るだけ小さいままに。
俯瞰をし、冷静に判断出来るように取り組むべきです。
また、社会を構成する、我々もそう意識をして、実践を繰り返し続けるべきですね。
鈍感力に必要性を感じないのは、前述のアップデートの繰り返しの欠如。
そして、勝負感の欠如を産み出してしまうからです。
そこには何かありますか?
今の社会を見れば結果は明らかです。
敏感な感性同士がぶつかれば争いが生まれますが、その時を見据えて。
義務教育機関を用いて、他者への尊敬や感謝の心を養うべきです。
それが、本来の鈍感力を発揮する為に必要な事になるでしょう。
鈍感力を活用する
しかしながら、私も含めてこの日本に住んでいると、感じる力です。
では、鈍感力をどう捉えて、活用するか?
鈍感であるとは?
気づかない
気にならない
感じない
感じられない
大きくみると、この様な感性ですね。
自己の感性的目線と他者的目線です。
私はこの感性を育ててしまう要因に教育的要素と社会的要素が強く関わっていると感じています。
教育的要素や社会的要素に過敏になるな!という意味を含めた力の要素です。
しかしながら、その鈍感力の根底はその要素から発生しています。
つまり、教育や社会的な環境においては、鈍感力が高い人間の方が、都合が良い訳です。
反対の意見や発展させた意見を嫌っている事が感じられませんか?
日本という社会において
敏感な感性の持ち主 20%
鈍感な感性の持ち主 60%
どちらもバランス良く持つ者 20%
この様な構成になっていると感じています。
実際にHSPと言われる「繊細さん」の割合は20%程度とも言われています。
※HSPに関しては、様々な反応が確認されていますので、あくまで割合における参考になります。
社会の支配層的立場を得ている人は、バランス良く持つ者である割合が高いと感じます。
本来であれば、発展性や気づきを持つ敏感型を駆使したいところではあるが、鈍感型の割合が多く、気づきが無いので利用しやすい。
この様に上に立つ者は考えるでしょう。
すると、社会は敏感型を特異性があると判断しだします。
ですから、この鈍感力の活用というのは、自身における感性の発達では無く。
他者の鈍感力を把握して、活用するということに本質があります。
敏感型である事が本来、人間的な感性でしょう。
それを持ち合わせている方々は、私が大切に考える、自分理論が構築されています。
しかし、社会は鈍感型で構成されてしまいました。
両方をバランス良く持つ者が自然と上に立っていく訳ですね。
いつの時代も、敏感型が世界や社会を発展させてきました。
自己の鈍感力は自己の感性発達には必要ありません。
鈍感力が高い他者を理解し、相互に活用してこそ力が発揮されます。
何故なら、自己の感性発達に役立つと共に、バランス型の要素に気づく事が出来るから。
バランス型はコレを嫌います。
支配層的な立場の者は、コレに攻撃を仕掛けてくるでしょう。
これは、後にバランス型を理解した人間です。
本質的に持つ者は、むしろ、仲間に引き上げてきます。
こういった行為が発生すると言うことは、自己の歩みに間違いが無い。と判断できます。
しかし、注意点です。
他者への尊敬や感謝を失うと、途端に追い込まれます。
自己がそうであるように。
他者も同様である事は忘れてはいけません。
敏感型と鈍感型
本来、敏感型であるべき感性が鈍感型へ切り替わる様に進められてきました。
右ならえ!の精神が強い我々日本人にはとても都合の良い方向性です。
しかしながら、科学技術の発達と共に。
この精神や鈍感型の担う部分は取って変わられて行きそうな流れです。
本来の敏感型感性を思い出す時でしょう。
また、現在、その本質的な感性を持ち悩まれている敏感型の方々は、冷静に自己が間違っていない事を理解し歩むべきです。
敏感である事は何も特殊な事は無く。
本来のあるべき姿だと、私は認識しています。
敏感な感性を養い。
鈍感な感性から本質を見抜きます。
俯瞰、決断、勝負感、感性的直感
この4要素を駆使して。
自己を理解し、他者を見て、自分理論を構築し、社会的要素の中で歩みを続ける。
そして、手にした他者への尊敬や感謝を感じてください。
コレを感じれるのも、敏感ゆえです。
パーソナルサーチャー *もも丸*
[お問い合わせ]
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